愛媛マラソン2017

Full-marathon

※時系列的に記録を残すため公開日をラン当日にした。実際にはレースから1年半経った今、やっと記録を振り返る気持ちになれたというところ。1年半前の記憶のため怪しい部分も多々ある。

グロス/4:05:55
ネット/4:04:20
総合/2,896/9,070人
年代別/549/1,686人

よくやった。前年3月の負傷からほぼ1年、今更ながらよく走れたもんだ、というのが正直な感想だ。負傷月以降の月間走行距離は以下。7月と8月はジム(武道館)でのトレッドミルランが主だった。1回の走行距離は8km前後だった。

▼16年
3 26.4
4 21.3
5 25.2
6 84.6
7 140.4
8 163.8
9 164.6
10 231.1
11 228.3
12 146.3
▼17年
1 208.7

9月になってようやく平均走行距離が10kmを超えるようになり、11月で15km。3月~翌年1月まで平均㌔ペースは5’30を上回ることがなかった。足が痛くて速く走るなんて考えられなかった。

レース当日、この年は祐子先生の同級生金太さんが山形から来松。SNSの記事の断片を確認すると、この日のレースで「頑張ったのはラストの2kmだけ」と書いてあった。

スタートはCブロック。これは16年に3時間40分台の記録(グロスの自己ベスト)を出していたからしかたない。

10km過ぎで中村県知事に追いついた。追い越し際「知事!今年の目標は?」と聞くと「3時間59分59秒!」と返事が返ってきた。

後で記録を振り返ると、知事にはその後、抜き返されていた。あらまいつの間に。ゴールタイムを見るとほんとに自分のゴールのほんのちょっと前のゴールで残念ながら4時間は切れていなかった。しかし、どこで抜かれたんだろ?と全く気づかなかった…それくらい余裕がなかったわけだ。

萩さんに36キロ地点で発見されていたみたい。このとき自分的にはほんとのほんとにボロボロの状態で平田の坂を上がっていた気がする。後から、萩さんに「素晴らしいファイトでした」と言われてしまう。悲壮感漂っていたのだろうか。

レース後、お師匠様に「マラソンも三味線もハッタリは通用しない」と言われる。うむ。流石の一言だ。

2016年3月の右足踵部(両足の骨部が異様に出っ張っていたのを覚えている)の故障から不本意な一年を過ごした結果の本命レースだった。この右足踵が気にならなくなったのは、この年11月の下関海響フルマラソン。なので、愛媛後も半年は全力走ができなかったという状態でのフルマラソンだった。

その一週間後に熊本城が待機していることもあり、どちらのレースも完走できる走りをしたい、という気持ちが一番だった。かつ、万が一可能であれば前年並みの走りをしたい。

と言う気持ちの焦りが走り出しに現れてしまった。最初の5kmが27:18。ここが全区間の最速ラップ。だめですわな。

以降、40km地点まで5キロラップは見事に落ち続ける。ちなみに35~40km区間は33分。

ここから残り2.195kmは自分の記憶にないくらい力を込めて走ったため12:05で走っている。なぜかココだけ2015年の愛媛より速かった。残り2キロってどんなにボロボロな状態になっていようが根性が身体を動かすんだねえ。不思議なモノだ。

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