サブスリーを目指すというのはなぜか

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それは

余裕でサブ3.5を走りきりたいから

精一杯走ってヘロッヘロになりながらサブ3.5を走りきることをイメージしてはいけないと思う。

いっそサブスリーを目指すつもりで練習をこなしておくべき。そう思う。

ゴールの至福が見えているからこそ、今つらい練習に耐えられるのだと思う。つらい練習はただのつらい練習ではなく、至福の時が待っていると思えばひとつもつらくない。

まだサブ3.5も見えていないのにサブスリーなんていうと「現実的な近い目標」をこなしてから言えというヒトもいるけれど、果たして本当にそうか。

現時点で、とてつもなく大きな目標だったり現実的でない目標であったとしても、長い計画のもとに一歩ずつでも前進できていれば必ず達成出来ると信じている。

もちろん、信じているだけで目標が達成できるわけではない。やるべきことをやろう。

3ヶ月の計画でうまくいかなかったのなら、次は半年計画、それでだめなら1年計画、自分がやれることをやればいいだけではないか。

怪我や故障をすることもあるだろう。長期離脱することもあるだろう。でもそれがなんだというのか。自らの経験は必ず次に生かす。それでいいのだ。

うまくいかなかったことを繰り返しても結果が劇的に変わったりはしない。というか何も変わらない。これはクーちゃんのしつけで体験済み。あーでもないこーでもないと悩もう。諦めず続けよう。

やるべきことをやってもいないのであれば、達成出来なくて当たり前。しかし、やるべきことをやれば達成出来るかもしれない。やってできなかったのなら、もう一度深く考え、やり直そう。

残された時間は短いかもしれない。でも時間がまるっきりないわけではない。目標の達成は5年後かもしれない。それでも終わりが決まっているわけではないし、1年後にそのときが来るかもしれない。

だから7ヶ月先の至福のゴールをイメージして今日もトレーニングをしよう。

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