振り返ってみると今年でもう6回目になるんだね。愛媛マラソンを6回続けて走らせてもらえてる。ありがたいことです。
で今年は、愛媛の一週間後にもう一つフルマラソンが待っている。なのでここで脚を使い切るわけにはいけない、と分かってはいたはずです。
そもそも去年の練習は散々だった。3月の東京マラソン後、全く走る気力がなくなってしまい4月5月6月と「今月こそ走らなくては」と思うだけ。そう思うだけ。
走行距離は7月にようやく100キロを超える。と思ったとたん夏が来た。暑いよね~と、走らない理由を見つけまた走らなくなる。
涼しくなったから走ろうと月100キロからいきなり月200キロに増やしヘロヘロになる。
10月以降も月200キロが精一杯という状態のまま2月を迎えた。
救いは1月の30キロ走(キロ5分15秒)と翌日の20キロ走(キロ5分20秒)で思ったより走れたこと。
しかし振り返ってみれば、これは救いでも何でもなく、ただダメージを残しただけになっていた。ここがピークだったな、たぶん。
そのことを、うすうす感じてはいたけれど、信じたくなかったんだろうね。きっと走れるはずと思いたかったんだろう。
本番の愛媛マラソン前の体調異常で後悔したときにはもう遅く…今の自分を受け止めるつもりで走り出したものの。
予定ペースは10キロまではキロ5分20秒前後、10キロ毎に様子を見ながらキロ5秒ずつ短縮できればよし、と思っていた。
が…
5 | 26:15 | 5:15 |
10 | 26:02 | 5:12 |
15 | 26:33 | 5:19 |
20 | 26:57 | 5:23 |
25 | 26:51 | 5:22 |
30 | 28:10 | 5:38 |
35 | 31:04 | 6:13 |
40 | 31:01 | 6:12 |
e | 11:42 | 5:20 |
25キロ迄は我慢 ができていない、つまり苦しい…
25キロ地点まではかろうじて3時間40分ペースだった。が、今日の体調ではとても今のペースを維持するのは無理に思えた。仕方ない。目標を4時間切りに変更しよう。しかしそれも甘かった。
愛媛マラソン唯一の折り返し点までの緩やかな勾配の辛いこと辛いこと。折り返した25キロ過ぎ4時間のペースランナー集団とすれ違う。
まっまずい。これ絶対に追いつかれるやつや。
25キロ過ぎてから30キロに到達するまでの苦しいことと言ったらもう。
この苦しさ具合から(というかもう既に時計を気にする余裕すらないのだが)目標は完走になる。
「いや仕方ない、来週があるんだから」と言い訳を考え始める。
もっと早くに自分を受け止める必要があった。
そもそも走り始めのキロ5分15秒なんて(なんて?)1月の30キロ走で気持ちよく走っていたペースじゃないか。
少なくとも(そう少なくとも)5分15秒なら30キロ迄は脚が持ってくれてもよかったはずだ。
それが10キロ過ぎて既に失速。その後も着々とペースを落とし25キロ過ぎたらアップアップ。
30キロ過ぎて、もろもろ気づいたときにはもう地獄を味わう覚悟ができました。
もう何が何でも完走しなくてはいかん。今日完走するために、この後どう走るかを考えよう。
息は苦しい両膝は痛い脚は動かん(膝は誤魔化して走ることで痛みは消えた)。
収容バスを見かけるたび6年前の繰り返しになるのか、いやそれだけは避けたい。這ってでも完走しなくてはという心境に。
帰ってチェックしてみたが案の定、15キロ地点で心拍は既に150超。20キロ地点では160台に到達。32キロ地点で170台に到達後は最後まで高心拍維持。
次のためにそうとういい練習になりましたね。そう思うしかありません。
心拍なんてそもそも走り出しから140超えていたよ。これで身体が持つはずもない。
今の自分の適性心拍は130台だなと改めて思い知ったほろ苦い愛媛マラソン2020でした。
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